『私をくいとめて』を何度も観ている。
何度観てもおもしろい。
なので、この映画を楽しむための心構えを考えてみた。
頼まれてもいない。
でも、考えてしまったので書いてみる。
まず、
「一人暮らしの女性が、恋をして、一人じゃなくなっていく映画」
もちろん、そういう話でもある。
でも、それだけだと思わずに観る。
みつ子は一人でいる。
でも、けっこう楽しそうだ。
一人で出かける。
一人でご飯を食べる。
頭の中には相談役のAがいて、何かあるとよく話している。
この、自分との会話が多い感じ。
私はすごくよく分かる。
私も自分との会話が多い。
嫌なことがあった。
腹が立った。
ちょっと傷ついた。
そういうときも、誰かに話す前にだいたい自分と話している。
あれはどういうことだったんだ。
いや、でも。
まあ、そういうこともあるか。
いや、やっぱり腹立つな。
そんなことをやっているうちに、だいたい終わる。
感情がないわけではない。
自分の中で先に片づいている。
今回あらためて観ていて、みつ子もそうなのかと思った。
Aと話しているというより、
自分の中でいろんなことをどうにかしている。
だから、みつ子を観るときも、
「一人でかわいそう」
ではなく、
「この人、一人でけっこうやれてるな」
くらいで観ていると、おもしろい。
そして、みつ子が今、
一人なのか。
誰かといるのか。
Aと話しているのか。
誰かと話しているのか。
そこをちょっとだけ気にして観る。
さらに、ときどき、
自分との会話が追いつかない。
間に合わない。
私は、そこがめちゃくちゃ好きだ。
普段、自分の中でどうにかしている人が、どうにかできなくなる。
そのときのみつ子が、ものすごい。
のん、すごい。
そしてもう一つ。
この映画を何度か観ていて、気になってきたことがある。
一人でいることと、
一人で全部どうにかすることは、
たぶん同じじゃない。
ここを分けて観るようになってから、またおもしろくなった。
あと、みつ子が誰かを、
「この人はこういう人」
と受け取っているところも気になる。
その人が変わったのか。
みつ子の受け取り方が変わったのか。
そこを見ているのも、おもしろい。
これは映画そのものにも少し似ている。
「こういう映画だろう」
と思って観る。
違う。
「思ってたのと違う」
そりゃ、映画のせいではない。
映画は最初からその映画だ。
こっちが勝手に期待して、
勝手に違うと言っている。
なので結局、『私をくいとめて』を楽しむための心構えは、
あんまり決めない。
なのかもしれない。
みつ子はこういう人。
Aはこういう存在。
これはこういう恋愛映画。
あんまり決めない。
そのまま観る。
そして、
「ん?」
と思ったところを、そのままにしておく。
もう一回観ると、
また「ん?」が出てくる。
そのうち、
「ザッパーンって何なんだ」
となる。
もう一回観る。
私はいま、そのへんにいる。
あと、のんがひたすらかわいい。
これは最初から最後まで変わらない。